こんにちは。
如月マイゴです。
日本では年始から様々なことが起こり、今、時代の移り変わりとともに、「地球での目的や使命を思い出して生きること」「本当の人生の目的を生きること」が、さらに急務な世の中になってきている気がします。
なので、2024年2月は、「人生の目的や使命」に関する仕組みや構造など、私が人生の目的を模索する中で気づいたことをシェアし、周波数の共鳴の法則(?)で、1人でも多くの方に「自分の本当の目的」に気づいてもらい、実際に「目的を生きる生き方」にシフトしていくためのきっかけ、トリガーづくりをしたいと思っています。
5回目の今日は、「私が地球での目的を思い出したプロセス」について。
私が最初に地球での目的関連のこと(手段)に気づいたのは10歳のころなので、一見地球での目的をスムーズに思い出しているようにも見えるのですが、実は目的もなく生きて迷走したり、寄り道や無駄なこともたくさんしてきています。
そのため、模索の過程での経験が普通よりは多いのではないかと思っています(笑)。
なので、「目的や使命をまだ思い出せていない方」「思い出してはいるけれども気づけていない方」「目的を生きる生き方にシフトしきれていない方」たちに、少しでも気づきとなるシェアができたら嬉しいです。
死ぬという選択肢を却下したから使命を生きる覚悟ができた
私の現在の目的(使命)については下記に書いていますが、今回の内容は現在の目的(使命)を思い出すまでのプロセスとなります。
どこから書けばいいのか迷いますが、「目的を思い出す方法」をシェアしているので、そのあたりのことから書こうかな。
私が「地球を守る」という目的を思い出したのは去年の夏のこと。
そのころの私は生きる意味を見出せず、死にたいわけではないのだけれど、ただ何となく生きている時間がもったいないと感じ、「死のシミュレーション」をしていました。
結果、理想的な死に方を見つけることはできず、生きるよりも死ぬ方が大変かも、という結論に至り、「目的もなく生きるのも辛いし、この命を何かに活かせないだろうか」と考えたときに、ふと「使命を生きてみるのはどうだろう」と思ったのです。
そして、この時は自分というよりはおそらく宇宙に対してだったと思います、「私の使命って何?」「何か私にできることがあったら教えて」などと投げかけました。
この頃の私にとって、使命というのは「宇宙からの司令」「私の意思とは関係なくやらなければいけないこと」という認識で、
一般的には「宇宙に委ねる」とか「宇宙からの依頼は素直に受け入れること」が良しとされていますが、私は「宇宙からの依頼だとしても私は私の意思でしか動かない、決めるのは私だ」と、頑なに拒否をしていた部分がありました。
それが、シミュレーションとはいえ、リアルに死を想像し、死と向き合ったことで、私の中の抵抗、ある種のエゴのようなものがなくなっていたのだと思います。
私にもできることがあるなら受けてもいい、と許可したからか、答えは1〜2日後くらいには返ってきました。
「ぼくたま」というワードがポン、と出てきたのです。
すぐに日渡早紀さんの漫画『ぼくの地球を守って』のことだと気づき、そこに何かが書いてあるのだろうと、久々に漫画を読み直しました。
でも、全巻ゆっくりと時間をかけて読んだにも関わらず、私が期待するようなことは何も書いておらず…
タイトルそのものが答えだと気づくまでには少し時間がかかりました。
だって、「地球を守る」が目的だなんてどう捉えればいいのか、何をすればいいのかまったく見当がつかなかったし、地球を守る活動…例えば環境保護、というのもどこか違和感があったからです。
ただ、これが私の目的かもしれない、という可能性を捨てきれなかったのは、2年前、あるサイキックの方のセッションで同じようなことを言われていたことを思い出したからでした。
そこから、意味がよくわからないながらも一旦「地球を守る」を自分の為すべき目的とし、冥王星が水瓶座に完全に落ち着く日を期限に決めて、具体的に何をすればいいのかを探る日々が始まります。
止まらない死の宣告と決意表明
それからの私は目的をもっとわかりやすい形で理解するため、また、目的を遂行するために必要そうなことにフォーカスし始めました。
正しい目的に沿って行動しているとおもしろいくらいスムーズに事が運ぶ、の法則で、最初は今ほどではないものの、少しずつヒントとなることが見つかっていき、それまでの虚無感などもなくなり、亀の歩み程度には前進していることを実感できるようになっていました。
私的にはそれだけでも人生が好転していい感じ、という認識でしたが、宇宙的にはまだ何か足りなかったのでしょうか。
目的に気づいてからちょうど数ヶ月たったころ、あるエネルギー測定会に参加し、「エネルギー状態が余命3か月」とか「余命半年レベル」などと言われることになります。
実際、ちょっと前までは生きる気力がかなり失せていたので、そういう結果になってもおかしくはないのですが…それでも、死の呪いをかけられたような気持ちになりました(笑)。
まあそこは医療機関ではなかったし、他にも色々と思うところがあって、その時は「信じない」という選択をすることができましたが…
コロナ禍で各種検診等から遠ざかっていたこともあり、実は余命3か月が過ぎるころまではちょっとビクビクしてました。
そしてこのころから得られるヒントも少しずつ具体的になっていき、同時に大きな決断なども迫られるようになります。
でもそれらは宇宙からの意思確認のようにも思えたので、都度勇気を出して意思表明をして、今はちゃんとその気があることを伝え続けました。
でも本当はまだ覚悟などは決めきれておらず、だからこそ何をするにも勇気が必要で…ある意味そのころはマインドセットをしっかりと行うためのトレーニング期間だったのかもしれません。
そんなある日、とても怖い夢を見ました。
姪(の皮を被った何か)が、私を押さえつけながら、「マイ、明日死ぬよ〜、死ぬんだって、うふふふふ」と笑いながら、何度も何度もしつこく言ってくる夢。
(正直、「余命3か月宣告」よりも怖かったです・笑)。
どのくらい言われた後だろう、夢の中なのでなかなか動けずにいたのですが、姪もどきを振り払い、私は「やり残したことがあるからまだ死ねないー!」と叫んで強制的に目覚め、夢を終わらせていました。
目が覚めてから、ちょうど1年ほど前に知人にブラックマジック(?)なるものをかけられた時のことを思い出し、未だに死に引っ張られてしまうことに恐怖を感じつつ、
夢の中ではっきりと自分の言葉で叫んだことで、「これが私の本心なのかも…」と、ようやく本気で目的を果たすために命を使う覚悟が決まったように思います。
それまではスローだった目的の解明が一気にスピードアップし、「地球を守る」というのが、現時点では「人間から地球を守ること」が1番有効な策だと気づき、
(人間が今よりも高い霊性や精神性、人間性を持つレベルへと進化すれば、戦争で地球が吹っ飛ぶ可能性?も環境破壊も汚染もクリアできる、という考えにようやくたどり着けたわけです)、
そこから目的マップが一気に大きくなりました。
2度目の冥王星水瓶座入りで目的がさらに大規模に
2024年1月20日(土)の太陽と冥王星の示し合わせたような同時期の水瓶座入りは、私にとって追い風になることはわかっていたのですが、
この前後を境に、手段も合わせた目的解明に関するビジョンやアイデアがさらに降りてくるようになりました。
しかも、今までの私の中にはまったくなかったような、かなり大規模なものが。
「地球を守る」というどでかいテーマを起点に解明し始めてしまったからなのはわかっているのですが…
想像以上に規模が大きく視座の高いことばかりで、私自身のアップデートがけっこう間に合っていません(笑)。
例えば、数字で言うと、私の人生に「10億」という単位が登場し始めたり。
ついこの間まで1億のゼロの数さえ知らなかったのに、10億…。
イメージも、東京、日本、ではなく「世界中」が対象です。
どこか気持ちが追いつかないという状態、おわかりいただけますよね…?
でも、不思議なことに、これらの大規模なビジョン、色々と辻褄が合うことばかりなんです。
長くなるので詳しくは書きませんが、最初にハッとしたのは、10歳のころに決めた「小説家になる」という将来の夢が、実は目的マップの下層の方に位置する手段の1つだった、ということにはっきりと気づかされた時でした。
その夢は、一度は捨て、数年前に拾い上げ、自分で出版することで一応の夢の区切り、決着はつけてはいたのですが、なぜそうしていたか、ということにも理由があったことがわかり、すべてがつながったんです。
それに気づけたのは、2年前くらいからリアルに会ってみたい、受けてみたいと思っていた方の個人セッションを受けることができたからなのですが、
このセッションを申し込んだ時点ではまだアイデアすらなかったことが一気にビジョンになっていき、半信半疑だった目的に対して、ようやく確信に近いものを持てるようになりました。
その昔、小説家になる夢を捨てるまでは、私は「夢が叶わない」ということ以外は大体順風満帆の人生を送っていて、不運が何もなかったわけではないけれど、それを糧に、ある程度は図太く生きることができていました。
なので、当時、それを言葉として認識できてはいなかったものの、「目的に沿って生きていると、人生わりとうまくいく」ということは感覚として知っていました。
でも今はその早さや規模感がまるで違い、「本流に乗ること」のすごさを感じています。
ただ、目的がわかったから全部OKというわけでもなく、今もアイデアはどんどん降りてくるので、それに合わせて自分もどんどんアップデートしていかなければなりません。
しかも、私は必要以上に無駄な時間を過ごしていたため、その分、巻きで進まなければいけないようで…(トホホ)。
目的がわかった後は、目的を遂行するために必要な自分の成長や進化が求められるので、それはそれでけっこう大変です(笑)。
人生の目的は狭い視野や低い視座では見つからないことも
最後に、ようやく目的の全貌(それでもまだ一部ですが…)が見えてきて、思うこと。
それは、「本当にこれ、私にできるの?」ということです。
サイトでシェアした目的マップには実際にやることなどは書いていませんが、私のnotion等には、普通に考えたら今の私ではできるわけないであろうことばかりが書いてあります。
でも、それらをどうにか実現する方法を考えていたら、「別に私がやる必要はなくて、できる人にやってもらえばいいんじゃない?」という案が出てきて懸念事項はすぐに片付きました。
何が言いたいかというと、アイデアが降りてくるということは、私は何らかの方法でそれらを実現することができる、少なくとも実現する方法を見つけることができる、ということです。
そして、最初の狭い視野や低い視座ではなかなか目的の全貌を解明することはできませんでしたが、今までの自分とはかけ離れた視点、広い視野と高い視座で物事を捉えるようになったことで、気づける量が圧倒的に増えました。
これも目的を解明していく上でのポイントだと思います。
目的がわからない、という方の中には、視野が狭い、視座が低いから見えていない、という方もいらっしゃるのではないでしょうか。
東京タワーの入口からでは、東京タワーの全体像がわからないように。
それに、目的や手段につながることというのは、人生の目的が何かをわからない状態でも、必ず1つはすでに経験しているはずです。
だから、目的に気づきたい、思い出したいと思った時点で現実は動き始めると思います。
どうぞ適切なタイミングで思い出し、そして行動にうつしていってください。
私のように脅されたり急かされたりしないように(笑)。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
あなたのピントが目的や手段にきちんと合うことを意図して。
Thank you for coming.
With my gratitude,
with Love, smile and miracle!
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