「可能性しかない」

今、色々なところで「玄米善悪論」のようなことが起きている気がします。

「玄米善悪論」とは私の造語で、善悪二元論の玄米バージョンのこと。玄米が健康にいいのかそうではないのかで意見が割れるアレです。

以前、貧血持ちで医者に玄米を止められたという知人に「私も貧血気味だけど、玄米は食べると調子がいいから私は食べるのやめない」と言ったところ、ものすごい剣幕で「貧血の人は玄米食べちゃダメなんだよ!」と言われたことがあり…。

その頃は私も若かったので、「別にあなたに食べろと言ってるわけじゃない。それに私は医師から止められたわけでもないし、あなたは私の医師でもない。それなのになんでそんなこと言われなきゃならないの?」と、言い争い気味になったことがありました(ちなみに今も玄米は常備ですし、もう貧血気味ですらありません)。

ただ、そのとき痛感したことは、玄米は私にとっては身体の調子が良くなる食べ物だけど、知人にとってはドクターストップされるほど良くない食べ物なんだということ。

玄米に限らず、人にとっての必要・不要、真実・嘘、正しい・間違い、善・悪は違うのだということ。

そして、人は自分にとっての真実を否定(?)されると怒ってしまう傾向にあること、でした。

恐らく知人は良かれと思って助言してくれたのだと思いますが…いつも大人しい人だっただけに驚きました(人により体質は違うということ、個人差がある、ということは、少し考えればわかることなので、頭ごなしに自分の正義を押しつけないでほしかったな…というのが本音ですが)。

今のコロナ禍でもこの「玄米善悪論」的なことが増えている気がしています。(今の場合は玄米より蕎麦の方が例として近いでしょうか)。

玄米が健康に良い作用をもたらす体質の人がいる反面、知人のように良くない影響を及ぼす場合もある。

蕎麦が、ある人にとっては美味しい食べ物である一方、ある人にとっては生死を揺るがす劇物であること。

コロナウイルスもそうですよね。
無症状者、少し症状が出て終わりの方、軽症という名のけっこう重めの症状の方、重篤な症状が出てしまう方…。たくさんの結果があるのに、一緒くたというか、善悪二元論で見て考える傾向が非常に強い気がしています。

また、検査薬の正確性やマスクの効果の有無、感染対策の頻度や程度の問題…。

善悪二元論的な意見の対立が目立ち始めたように思いますが、「どちらかが正しい」のではなく「どちらも正しい」もしくは「どちらも違う」ではないかと思うんです。

すべては確率論、割合の問題というか。

人によって体験する出来事は違うので信じる物事は異なるし、それがマジョリティなのかマイノリティなのか、それだけ。

絶対はなく、可能性しかない。
すべて確率でしかないと思うんです。

特に今のような状況の場合は。

今、多くの方が、ご自身の信じることがすべてで、それ以外は否定することが多くなってしまっているような気がします。命にも関わることですし、悪意ではなく善意だということもわかるのですが…

様々な意味で「人はそれぞれ違う」という大前提を忘れず、客観的になり、多様性を認める、ということを忘れてはいけないのでは、と思います。

今は、良くも悪くも、様々な意味で「可能性しかない」状態なのですから…。

私も無自覚で自分の価値観や考えを人に押し付けないよう、気をつけたいと思います。

最後までお読みくださり、ありがとうございます。
客観的で冷静な判断と、他者への配慮や思いやりを忘れずにいられますように。

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