Facebookのおすすめか広告かで、魚の捌き方の動画を見ました。
生きたまま血抜きをしたり、捌いたり…暴れる魚の胴体を押さえつけ、苦しんでいるのを無視して時間をかけて身をバラバラにしていく。
私が食べている魚はすべて(ではないかもしれませんが)、こんなに残酷なプロセスを経て私のところまで届くんだ…。そう思ったら、「お鮨大好き~♪お刺身大好き~♪」なんて能天気に言えない…そう思ってしまいました。
知識としてはわかっていましたが、実際に映像として目の当たりにしたことで、肉や魚を食べることについての本質を改めて考えさせられました。
だからといって魚をまったく食べないのかと聞かれたら、おそらく今後も食べますが…頻度はたぶん減りますし、今後食べるときは都度命をいただいているのだという自覚を忘れないようにしなければ、と思いました。
考えて食べられなくなったら、それはそれでいいのかなと。むしろその方がいいのかもしれないな、と。
多くの命を食べて生きる…そうしてつなぐ自分の命に、他の生き物の命をいくつも奪ってまで生きる価値はあるのか、自分に問うてしまいます。
でも本来、生きるってそういうことなんですよね、きっと。
食べることは生きる楽しみの1つですが、時々本当に不食の方に憧れます。オーロラに感電して不食になった方がいるという話を聞いたことがあり、もし不食になったら空腹感も知らずにすむし、自分が生きるために他の命をいただく必要もなくなります。消化のためのエネルギーをもっと他のことに有効活用できるようになるかもしれません。
人間が不食になった場合、生態系のバランスにどう影響するのかはわからないので、そこについての考察は控えますが…
今まで、命の授業などもあり、肉食については色々と思うこともあったのですが、魚についても考えさせられたのは今回が初めてでした。
海や川を泳ぐ魚は人間の食べ物なのか、それとも同じ1つの命なのか。
人によって考え方も答えも違うと思います。
ただ、私たちは食べる物に関して…もっと言えば食べ物に限らず、他の物事の成り立ちについても根本から知り、知った上で、生活に、人生に取り入れるかどうかを決めなければいけない、そう思います。
他の命を多く摂取してまで生きる意味、そして価値。何をもって価値があるとするのか、貢献すべきものは何なのか。
魚の血抜きや捌き方以上のことを教えてくれた動画でした。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
命を取り入れてつなぐ命…命の重さと命の価値について、私たち人間はもっと真剣に考えないと、ですね。