先月から、原初音瞑想ティーチャーの渡邊愛子さんが、コロナの危機を乗り越えるためにディーパック・チョプラ博士とオプラ・ウィンフリーさんが共同で始めた21日間の瞑想体験「不確実な時代の希望」の和訳をシェアしてくださっています。
その和訳の中に、ハッとさせられるというか…「目を覚ましなさい」と言われるような感覚を覚えた言葉がありました。
「希望はあなたの現実を変容させ、恐怖や不確実性を根絶してくれます」
「希望の力が毎日ここにあります」
「希望とは、まったくの暗闇の中で光を見ることができる力だ」デズモンド・ツツ
「希望は怖れと不安で損なわれることがわかります」
そう、「希望」についてです。
こんな状況下なので、元来リアリストでネガティブ思考の私には、どうしても楽観的思考が難しくなる瞬間があります。
でも、「希望」というキラキラした言葉を聞いた瞬間、その言葉に夢を見ました。現実逃避とは違う、幸せな夢。
そう、「希望」です。
希望とは、「あることの実現を望み願うこと」(goo国語辞書より)。
今まで生きてきて、希望という言葉をきちんと使ったことはなかったかもしれません。言葉そのものを使う機会はなかなかありませんでしたが、「希望」という言葉が持つ意味は、よく考えたらいつも意識して実践していたことでした。
でも今は、気を抜くとすぐに「希望になんかすがっても意味はない」「現実を見ろ」という声が聞こえてきます。そのたびにリアリストの理性は「その通りだ」と思っています。
けれども本能の部分では、現状を諦めて受け入れることを嫌だと思っているし、最後まで希望を捨てたくないとも思っています。
今、望む現実は目の前にはありません。
でも、その先にはあるかもしれません。
未来をつくるのは今、そして「今の思考」です。
不安定な現実の中で、今必要なのは、人を苦しめるリアルよりも、人を幸せにする地に足のついた希望なのではないかと思います。
希望は建設的な行動を促す原動力となります。
反対に、絶望は私たちにすべてを諦めさせようと働きかけてきます。
私は自分の中に希望の光を宿したいし、できることならそれを周りにも伝播させていきたいです。
楽観的なプラス思考やポジティブシンキングではなく、現実逃避でもなく、生きる上で必要な「希望を持つ」という力。
********
自宅で過ごす時間が多くなり、毎朝、朝日で目を覚ませることに幸せを感じます。あの温かさと眩しさは人に必要なものだと感覚的に理解し、あたり前だと思っていたことに感謝する日々です。
最近は日光浴をしながら、太陽の光がネガティブな気持ちも消し去ってくれているような気がしています。夜、暗い気持ちになってしまっても、朝がくれば気持ちをリセットできる。
自分の弱さや醜さを日々自覚する環境だからこそ、より強い光を外に求めてしまうのかもしれません。
自分の中に光を宿したくて。
太陽は希望の光、そして希望の象徴みたいです。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
希望という言葉が光となって、多くの人の心にも灯り続けることを願って。