今を、これからを、どう生きるか〜後悔しない生き方

ここ数日、瞑想中に、生き方について考えることが増えています。
何があっても受け入れられる着地点はどこだろうとか、後悔しない身の振り方は?とか、様々なシチュエーションを想定して自分に問いかけるんです。

瞑想中は「考えごとをしない」ようにするもの、なんですけどね…(笑)。思考がとてもクリアになるので、ついつい考えごとをしてしまいます。

そして考え事に集中しているときは多分、脳波がアルファ波(もしくはシータ波、もしくはデルタ波)になり、心身ともに心地よい状態になっている気がするので、個人的には良し、としています。

そんなリラックス状態では、おもしろいことに、今までとは違う思考が顔を出し始めます。

例えば、「もう二度と誰にも会えないかもしれない、それなら今、誰に会っておきたい?」という問い。その問いには、幸か不幸か、瞑想中には是が非でもこの人にだけは会っておきたい、という人が出てきませんでした。

もちろん、感謝を伝えたいと思っている人はたくさんいます。でも、そういう気持ちは直接会わなくても伝える手段はあるな、と思う自分がいました。

また、こんな状況だからか、死についても考えることが増えています。

でも、今までとは違い、瞑想中は、死を受け入れる、とはまた違うのですが…なんでしょう、恐怖がそんなにない自分がいて、ちょっとびっくりしてしまいました。

まだ目の前にないものに怯えることがない、という言い方が近いのかな。死に直面したときにもこの心の状態を保てているとは思いませんが、今はまだ、無駄な、というか、不要な不安がないのです。

自分が新型コロナウイルスに罹患したらどうするか、ということも考えました。医療崩壊も危惧される中、自分の生命力をどこまで信じるか、そしてどこまで医療を頼るのか。

今の医療現場の現状も鑑みての最終的な結論は、

・自分の意思では病院へは行かず、極力自己治癒を目指す(ひとりなので、病院などへ行くほうが感染させるリスクがある/自宅に隔離されていることで他者への感染は防ぐことができる)
・自己治癒できないのであれば、自然淘汰だと思ってあきらめる(多分ここが最近の瞑想の中で得ている思考の変化であり覚悟)
・ただしその場合は、人様に最大限迷惑(感染の可能性など)がかからないような方法をきちんと考え、最善の選択をする

でした。もちろん、当事者になったとき、苦しさや恐怖に負けてしまうかもしれませんが、一旦は自分の生命力を信じてみることにしようと思いました。

それは、今回のコロナウイルスに限らずですが、医療の力に頼ってばかりで自己治癒力で治せなければ、究極的には解決しない問題なのではないか、と思っていることにも起因するのかもしれません。

そして、自然の摂理に抗うのはやめよう、ということも、生き方として、今回初めて意識したことでした。

何かで、私たちは自発的に生きると同時に生かされてもいるのだと聞いたことがあります。

なので、これはあくまで個人的な考えですが、もし、自分の力でウイルスに対抗できないのなら…医療の力を借りなければ生きられないのなら、それは自然の摂理に反することかもしれない、と思い、それなら一度、それを受け入れる覚悟を持とう、と思いました。

自然の摂理=自分の生命力。
私の命は、医療の限界ではなく、私の体の限界とイコールにする。
抗わず、自然の摂理に従う。

このことに付随して、人類至上主義の生き方をやめようとも思いました。すぐには難しいと思いますが…何かの選択をする時は利己的にならず、目先のことに捉われず、できるだけ地球上のすべての生命にとっての善を考えて、宇宙レベルの視点で物事を見て判断する。

他人の死、特に身近な人や大切な人の場合は辛いけれど、自分の場合は心構えと覚悟で色々なことが変わるのでは、そう思っています。もちろん、生き方自体も。

多くの方が今、何らかの形で今までの生き方、そしてこれからの生き方を問われていることと思います。

そこで出す答えは様々だと思いますが、私たちが求められているのはパラダイムシフトの過程における何かしらの変化、もしくは進化。

この未曾有の事態が、さらなる進化のきっかけとなりますように。

最後までお読みくださり、ありがとうございます。
様々な生き方がありますが、誰もが後悔なく今を生きることができますように。

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