テレビ朝日「モーニングショー」が報道した渋谷のネズミのニュース、ご存知ですか?
外出自粛で人のいなくなった深夜の渋谷の路上を多数のネズミが走り回っている、というニュース。実際にその映像が流れ、衝撃を受けた人が多いらしく…ネットニュースにもなり、ちょっとした話題になっています。
私もこのニュースのことはネットで知ったのですが、このニュースに対してのコメントの中に「早く駆除したほうがいい」というような言葉が目に留まり、少し違和感を覚えてしまいました。
確かに夜、歩いていると、走り抜けるネズミを何度か見たことがあります。渋谷に限らず銀座でも表参道でも自宅近所でも見たことはあるし、もっと言えば地下鉄のホームや改札でも見たことはあります。朝でも、地下鉄の線路上にいるのを見かけたりします。
だから、人がいなくなってネズミがあふれる、というのは、地域にもよると思いますが想像はできます。
そして、友人が自宅で1匹のネズミに相当悩まされていた話を聞いたことがあるので、ネズミによる被害が深刻だということも、経験としては知りませんが、知識としては持っています。「ネズミ=被害→駆除」という発想になるのも理解できます。
でも…。
そのコメント欄が自由な発信の場であるとはいえ、渋谷など該当地域で困っている人たちではないであろう第三者がそれを発することに違和感がありました。違和感というよりも恐怖の方が近いかもしれません。
そのコメントは「害となった人間が今、地球から駆除されている」ことを私に連想させました。
「駆除」という言葉に過剰に反応してしまったのは、きっと、現状に対する様々な憶測が飛び交う今だから、だと思います。
『進撃の巨人』のマルコの死が明らかになったシーン。「生きるための捕食ではなく、捕食に意味はないのにマルコは食われて死んだ」というあのシーンに衝撃を受け、衝撃を受けすぎて、それから私は意図的な殺生は極力しない、命を軽んじない、と決めました。家の中に入ってきた虫は殺生の対象となることが多いようで、どちらかというと私も小さな羽虫などはそのように対処していましたが、ミリ単位の小さな羽虫も1つの命なのだと、『進撃の巨人』を読み始めてから認識を改めるようになりました。
でも、そんな小さな、むしろあたり前のことではだめだったようです。
ここ最近、今のような状況になって改めて思うことがあります。
人間はこのまま「人類至上主義」を貫いていいのか。
それは人間の驕りでしかないのではないか。
別の生命から見たら、私たちだって充分「駆除対象」なのではないかーー。
気づくのが遅すぎたけれど、人類至上主義、人間が一番だという傲りは、一度手放さなければならない時に来ているのだと思います。
人間が他の生命に対してそのような発想しかできなければ、おそらく自分たちもそのような対象になってしまうでしょう。
ネズミは保菌しているから病気が…。
増えて迷惑だ…。
でもこれって、悲しいことに、今の人間にも言えることですよね…?
ネズミも、ネズミだけではなく他の生物も、同じ1つの生命として、共生・共存していく道はないのでしょうか。
イニシャルGの黒い虫との共生は私もイメージはできません(亡骸を処理できないので駆除もできません。なのでGがそもそも居住スペースに入らない場所に住むようにしています)。でも、命を奪うという形ではなく、お互いストレスにならない形での住み分け(Gにストレスがあるのかはわかりませんが、少なくともネズミにはあるはず)、そして共存は本当にできないものなのでしょうか…?
簡単にですが調べたところ、いわゆる町ネズミには3種類、大きい順に「ドブネズミ」「クマネズミ」「ハツカネズミ」がいて、今一番多いのは中型サイズの「クマネズミ」なのだそうです。このクマネズミに限って言えば、寿命は1~2年。北海道ではネズミの習性を利用して対策をこうじたところ、交配数を減らし、結果的にその数を減らすことができたそうです。自然の生態系を考えると、種の繁栄をこのようにコントロールすること自体、いいことなのかはわかりませんが…方法は駆除だけではないということです(そもそもネズミは駆除が難しいそうですが)。
もしくは、ネズミのための住処をつくる、とか…?
町ネズミはほとんどが汚れて黒いかたまりにしか見えません。でも、一番多いと言われているクマネズミは、薄汚れていないきれいな写真を見たら、とてもかわいい顔をしていました。(私は幼少期に『ガンバの大冒険』シリーズが大好きで、昔ハムスターを飼っていたこともあるので、ネズミに対しての抵抗感はあまりありません、すみません)。
ネズミで困ったことがないこともあり、あの愛らしい見た目が(実際は獰猛かもしれませんが)「ネズミ=害虫」のような固定観念を変えてくれたらいいのに、と思ってしまいました。
話が色々とそれてしまいましたが、渋谷のネズミのニュースで私が感じたこと。
それは、私たちは今、根底からのマインドシフトを促されているということです。
生命の重さに違いがあると思っているのはきっと私たち人間だけ。
あたり前だと思っていた人類至上主義的な感覚がそもそも自然の摂理に反していることを自覚し、言動を改めなければいけない、そんな時期にきているのだと思います。
私もまだ思うだけで、行動や生き方の面ではまだまだ何もできていません。
でも、このままではきっとダメ、だと思います…。
私の思うことが正しいかはわかりません。でも、自然の摂理に抗わず、長い目で見た地球や自然を含めた生命の多種繁栄と共存のため、まずは自分が生き方や考え方を変えていきたいと思います。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
明日が素敵な1日となりますように。