昨夜の小池百合子都知事の緊急会見で、様々な声があがっています。
著名人からは非難の声が目立っていましたが(というか、メディアに取り上げられていたものはそういう温度感のものばかりでしたが)、ここ数日の動きに裏で大人の事情がある感は否めないとしても、都民への外出自粛要請と、そのことに対する反応はすべて、当人たちにとっては間違っていないこと…正しい判断であり、正しい反応なんだろうな、と私は思いました。
それぞれ「視座の違い」「視点の違い」「野望の違い」で、今目に見えているもの、そして見据えているものが違うから、こういうことが起こるんだろうなと。
外出自粛による飲食店への深刻な影響などには心配の声もあがっており、確かにそれは私も思いましたが…私は一緒に行く相手が遠方だったこともあり、期間中に予約していた飲食店をキャンセルしました。ただ、そのお店がなくなってしまうのは嫌なので、キャンセル料を払おうとも思っていました(発生しませんでしたが…)。
でももしその予約が、例えば去年から予約していて今後もう二度と予約できないお店だったとしたら…キャンセルすることができたか…わかりません。。
人の行動は、様々な要因とその人にとってのプライオリティから導き出された結果でしかないと思うんです。
善し悪しではないから難しい…。
そういえば去年の秋ごろ?冬?そのくらいにも、今と同じようなことを思っていました。
今回のことと比べると規模はかなり縮小し、会社の組織において、の話ですが…
メンバーは、現場と、課長、部長、執行役員、取締役社長、といった感じでしょうか。
「会社の発展」という同じ1つのゴールを目指すための話をしているはずなのに、立ち位置が違うせいで話はかみあわないし、理想も考えるプロセスも求める結果もすべて違い、驚いたことがありました。
個人的なパーソナリティの問題だけでなく、立場によって見えているもの、見ているものが違うから、1つのことについて話していても、こんなにもギャップができるものなのかと知り、大きな学びとなりました。
ここで必要なことは、きっと、そのギャップを全員でどのように埋めて折り合いをつけ、一緒にがんばっていくことができるか、なのだと思います。
考えが違うことを理解したうえで(受け入れる、とはまた違います)、自分の主張だけを押し通そうとせず、お互いに歩み寄る努力をする。
全立場の人が納得できるラインを探す努力をする。
去年は個人レベルでの学びに過ぎませんでしたが、ふと、「立場の違う他者への理解」「歩み寄る努力」など、これは私だけに限らず社会全体の課題の1つなのかもしれないと、ネットニュースを見ていて思いました。
でもそれって、まさに「山羊座」から「水瓶座」への移行、「魚座」から「水瓶座」への移行を表す象徴的な動きのような気がします。
一市民としての視点では、今の状況下、「一刻も早く平穏な日常を取り戻したい」と思いますが、時代の節目に今いる自分、という視点で起こる出来事を見てみると、こういう方法、経緯で変化していくのか、とまた違った見方ができるから不思議です…。
視座、視点、そして野望(私利私欲)の違いで見るものも見えているものも違う現実。そんな中で、様々な違いがある人たちが円になって手を繋げるようになる、それが今回の裏テーマというか、1つのゴール。かもしれない。
そんなことが垣間見えた1日でした。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
新型コロナウイルス…COVID-19 による健康被害も怖いですが、その影響による経済の悪化、生活が脅かされる恐怖も決して小さくなく、むしろ長期的な視点ではこちらの方が大きな問題かもしれません。
多くの局面で課題がありますが、それでも人々が最小限の痛みでこれらを乗り越え、「あの時はがんばった」と穏やかに振り返ることができる日が早く来ることを願っています。