空を見てふと、思い出す。
この背に翼があったこと。
いつなくしたのか、
どこへいったのか、
そんなことすら忘れてしまった。
ただ、空を仰いでこう思う。
「自分も空を飛べたなら」
飛べない鳥を見て、思い出す。
その背に翼があることを。
翼があるのに飛ばない鳥と、
翼を広げて飛び立つ鳥、
違いは何かと問いかける。
飛べない鳥はこう言った。
「飛び方を知らないから」
「羽ばたくと怒られるから」
空舞う鳥を見て、思い出す。
かつては自分も飛べたこと。
そこには自由があったこと。
だけど翼をもがれ、手段を失い、
空飛ぶ意欲も枯れ果てて、
身体は飛ぶこと自体を忘れた。
空舞う鳥はこう言った。
「背中の翼を広げてみたら」
「その翼は飾りなの?」
背中に触れて驚いた。
なくした翼がまだここにあること。
もげた翼を取り戻したなら、
飛び立つ勇気があるのなら、
背中の翼を広げればいい。
たたんだ翼を大きく広げ、
羽ばたく準備をすればいい。
飛び立つ瞬間、思い出すはず。
飛び方も、
空の広さも、
空舞う喜びも、
果てない自由も。